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Sunday, December 18, 2016

北海道アイアンマン 2015

「申し込んだ経緯」
昔からトライアスロンへ憧れがありましたが  、体重が最高で100KG超あり、2009年の東京マラソン、人生初のフルマラソンでは、30km地点で時間オーバーで屈辱のバス回収されました。
そのまま、トライアスロンへの憧れは薄れたのですが、2010年ころ  から山登りが楽しく、丹沢、北アルプス、大雪山、ヨセミテと、もっと楽に楽しく登るためにジョギングを始めました。
最初は4KMもしんどかったのですが、10KMが普通になってきたのでフルマラソンにも出られる
ようになり、2012年からOD(オリンピックディスタンス)の館山トラ、ミドルの竜洋トライアスロンで 完走は、できたので、
もしかしたらこのまま夢の宮古島トライアスロンも完走できるかもと、応募したら、2013年4月無事家族の前でなんとか完走しました。いったん夢がかなったため、起業の準備もあり、練習もやらなくなりました。
2014年、8KGほど太った時に、なんか、体の動きが鈍くなってきたので、運動したいなーと、ラン再開、やはりゴールがないとやる気が出ない、でもフル マラソンではワクワクしないので、KONAのIRONMAN World Champonship 2014 のビデオをみたら、ゴールシーンが本当に感動で、単純にモチベーションアップして、いつか KONAいくぞー!と。
まずは、2015年IRONMAN JAPANだと。2015年1月1日元旦にポチッと申し込みました。

「練習メニュー」
冬はとりあえず一番嫌いな ランということで、週2,3回10-20KMのランを入れていましたが、右膝が痛み練習がうまくいかないとか、スイムが自己流で、これでいいのかよくわか らないため、青山剛のチームAOYAMAのパーソナルコーチングに通い始めました。3か月しかいってませんが、ストレッチとスイッチ(チームAOYAMA の15分体幹トレ)で膝の痛みや怪我はなくなったので、よかったです。4月に入れた掛川新茶マラソンではタイムは、5時間弱でしたが まあまあきついコースで膝がまったく痛まないので感動しました。
5月には、OSJの宮塚骨トラ合宿に参加しました。初のトラ合宿で緊張しましたが、好きなことをする人と一緒に練習するがこんなに楽しいのか、そして、レ ベル高い人とやるとやる気あがる、と、これまで一人でしか練習したことなかったので、いい経験になりました。また行きたい。
基本練習は、コーチングで言われたとおりの、週3回のキロ6分以下の10KMのランと、週5回のスイッチ、週1の2KMほどのスイム、週1の2時間のバイ クでした。走り方の基礎と体幹筋力と習慣がないので、このレベルでの練習で完走目標レベルにとどめるようにとの意図があるようでした。もちろん、風邪やイ ベントなどで毎週コンスタントにはできてません。ちなみに、チームAOYAMAでは、サブ4ないとロングトライアスロンは禁止の雰囲気でした。

レース1か月前からは、週1でODディスタンス3種練習を入れたりしました。
相模原グリーンプールがウエットスーツOKとしってからは2回ほどウエットを着て2KMフリーの練習をしました。腕が回しにくくなるのも分かったし、スト ロークのスピードを上げたり、息継ぎを減らすより、リラックスして、長くストロークするほうが速く楽になるのがわかって、やってよかったです。
バイクは、もっぱら自宅から宮ケ瀬湖1,2週か裏ヤビツ往復80Kでした。

「準備」
大会、3週間前にバイク練習中にホイールのスポークが折れたので、自転車屋にいくも26インチ 650Cのホイールは最近は入手困難で責任もって直すと結構お金がかかるとのこと、町田トライアスロンの大先輩に助けをもとめると、ありがたいことに愛車 を貸してくださるとのことで、遠慮なくお借りすることになりました。
まずは、バイク専門宅配のシクロエクスプレス片道4000円で1週間前に万世閣に送りました。
その他の持ち物準備は、頭の中で前日、当日の動線をシミュレーションして、必要なものをEXCELでリストにして、100アイテムもあったのでびっくり。 2日前には 完全にパッキングし、出発当日も最終チェックしました。かさばっても、少し多めに持って行ったのが良かったです。
一番悩んだ補給食ですが、ブログでみたものと 今回初で使いたかったういろうを、メニューにしました。
スイム前は、なるべく食べて、バイク上では1600KCALはとるのを目標にしました。メインは、ジョミとグリコCCDと、ういろうで、ポイントでのパワーアップにTOPTENです。

「出発当日」
2015年8月21日(金)
3時に起きて、持ち物リスト見ながら最終持ち物チェックをし、
朝4時に、奥さんに相模大野GREENHALLバス停へ。4:35AMで羽田へ、6:50AMくらいのSKYMARKで新千歳空港へ。8:30には、新千歳空港発のJTBのバスで、洞爺湖へ移動。

「現地に着いてから」
JTBバスは、文化センターで降ろすため、まずは、説明会に参加。昼12時前についたのですが、12時から英語の説明会だったので、エクスポをぶらぶらして、物色したり、無料マッサージを受けたりして、
13時からの説明会に参加。50分ぐらいの説明のあと、青いリストバンドをもらって終了。
バイクの未舗装エリア、ランのトレランエリアなどの説明があり、水温は暖かそうだということでした。IRONMANでは、途中どんなにしんどくても、道にゴミを捨てるなと結構強めにいってました。

「受付」
その後、となりの建物の選手登録会場へ移動し、必要書類を見せて、ゼッケンやトランジションバックなどが入ったパッケージをもらいました。保険証のコピー を持ってない人がコンビニに行かされるのをよく見ました。説明会直後は、登録のための列は短かったですが、終わって出るころには、すごい列になっていまし た。説明会終わったらすぐ登録いくか、説明会中に行ったほうがいいかもです。
そのあとは、宿の万世閣に歩きで移動し、パーティまでの間に、ロビーで自転車を組立、20分くらい試走し部屋に持ち込みました。サイクルメーターが反応し なかったので、明日、どっかで買おうと考えましたが、エクスポにも、30分いった町の自転車屋にもイオンにもなく、ガーミンだけが頼りになりました。距離 だけで速度は見れません。

「パーティ」
到着した、金曜日の5PMから万世閣の会場でパーティでした。たしか、パスタ、ポテト、メロン、と、あと1ドリンクだった記憶があります。あまり豪勢じゃ ないかな、という印象でした。名物プレゼンターの外人さんが頑張って日本語と英語で盛り上げてました。IRONMAN JAPAN実行委員長の白戸太郎さんが第一声”来年もあるかという質問をたくさんされますので、答えます!” ”ほんとうにどちらかわかりません!でも、 ふるさと納税いっぱいしてね。” というのがなんだが、地元行政といろいろありそうで、印象的でした。
町長さんとかの、話が続きそうだったので、部屋にもどり、明日のバイクチェックインやトランジションバックの準備をしました。

「前日の流れ・準備」
前日は3つのイベントがありました、1つは、ランのT2トランジションバックをあずけること、2つ目は、スイムの試泳が昼30分あること、あとはバイクのチェックインでした。
5時に起きて朝食前に スイムスタートのところまで往復4KMくらいジョグし、朝食へ。
万世閣のブッフェスタイルの朝食は、けっこう、種類が いろいろあっておいしかったです。そのあと、荷物をもって、バイクで T1へ移動しました。T1の手前、ヘルメットのチェックとバイクのチェックをOFFICIALにしてもらい、T2のラントランジションバックを預け、バイ クラックへ。指示では、この日は、食料は、バイクに装着しないこととのことでした、カラスが来るのだそうです。雨のための自転車カバーをして、そのままバ イクラックの先のスイムSTART地点へ移動。
各々チームごとに楽しそうにウエットスーツを着て準備してました。時間がきたので、ウエットを着、耳栓をし、キャップをかぶり、GARMIN時計をキャッ プの中へ忍ばせ、水へ侵入。岸の入るところは、こぶし大ぐらいの石がけっこうあり、痛く、水の中に体を浮かせて手で歩いて進まないといけないほど。水中で は、2-3Mくらいは向うが見えたけども、底は見えなかった。宮古島みたいに何十メートルも透けてみえるよりは怖くないかも。しばらく泳ぐも進んだ感がな く、すこし不安になりながら戻りました、往復500mしか動いてませんでした。
そのあとは、同室のトライアスリートとご友人とで、 望羊蹄 でランチ。 ハンバーグステーキとノンアルビールで英気を養いました。世界選手権やkonaに行くためにどんな練習するかを聞け、かなりワクワクしました。
部屋では、ういろうにタブレットを仕込んで、サランラップにつつんだものを8つ用意。すべてのバックをリストでチェックして、翌日3時15分に起きるため 8PMに寝ました。眠りは浅かったですが、寝れました。

「レース当日目覚めてから」
当日は3時に起き、万世閣からもらった朝食(実際は7-11のパンとおにぎりと野菜ジュース)を食べて、トランジションバックのチェック。T1 バイクトランジションバック、空気入れ、バイクスペシャルエイド、ランスペシャルエイド。リストをみて、袋の中をチェックし、天気がよさそうなので、バイ クパンツをウエットスーツの下に着てもokということで宿をでました。
宿からまずは、T1バッグラック前に、スペシャルエイド用のカゴに2種類の袋をそれぞれいれ、バイクラックへ移動 タイヤの空気を入れて、 BENTOBOXに塩タブレットをセット、バイクウエアの後ろにいれるういろうとフラスクと大福をビニール袋にいれ自転車にかけました。バイクシューズ は、DHバーに置きました。
もどって、T1のバックの中身をチェックして バックラックにかけ、 ウエットスーツがはいったT0バックをもって、スタート地点へ移動。ウエットをT0バックから出し、ジェルを1つ飲みながら着込んだあと、空気入れとサン ダルをT0バックにいれて、しっかり紐をし、預けました。この時点で5:45、プロスタートまで15分。やばい、ストレッチしてない。急いで、人の少ない ところに移動し、ストレッチをはじめるも、小を催してきたので、水中でするか、トイレでするか悩んだけっか、トイレを選択。エリートスタート後にやっと完 了。

「スタートライン」
6:10AMに ばたばたと 自分のエイジの水色キャップのあつまるエリアへ移動、第3ウエーブで、6:13スタートなので、こころの準備もなく、昨日のように 石が痛いので 腕で足を浮かして フォローティングできるところまで 入水。 行き着く間もなく、ブオーっというホーンとともに、スタート。トライアスロンモードにしてあるキャップのGARMINのスタートボタンを押す。

「スイム」
ウエーブの後ろの方からスタートしたので、基本のコバンザメを開始、人は水中でも結構見える。
でも、まだまだ、リラックスしてないので、ルックアップや追いかけをするとリズムがくずれて息がくるしくなった。プールで泳ぐように下をみて
数ストロークしては、立ち泳ぎで、前を確認する作戦、次に右で息継ぎするので、右のひとを追いかけようかとするも、苦しい。自分のペースで10ストローク すると楽で、しかも、人混みから抜けられた、もしかしてめちゃはやい?とおもって 立ち泳ぎすると、コースの右の外のほうへ 出そうになっていた。みんなは10m左を魚群のように泳いでる。
左に向かって人混みの方へ泳いて行って、滲んだゴーグルで黄色ブイを確かめ進む、でもまた右側で一人で泳いでるというのを3,4回繰り返す。1KMのブイ を回り込み、T1のゲート方面へブイ回りではすこしバトルがある、ストロークで叩かれたり、乗っかってきたりはわかるんだが、足首をつかまれるのはなんだ ろう、怖かった。人の流れの右側でなるべくついていきながらそして、たまに自分のペースで進むとやはり、右に曲がっていってコースアウトしそうになる。 プールでは気づかなかったが、自分は、右に流れるくせがあるようだ。そして、1回スタート地点近くまでもどり上陸し、再度水の中へ、この時思いついたの は、人についていくのは苦手だ、黄色のブイも、小さくて目標に使えないので、建物を目標にしようと、作戦変更。10ストロークから20ストロークしてルッ クアップし、ブイのところにあるはずの建物を目指す、やはり右に流れるので、左気味に意識しながら3KM地点のブイを周り、最後の直線は、いけーと思って プールだとおもって まっすぐすすんだ。けど やはり、ルックアップしたら 右にすすんでいた、10ストロークと コバンザメの合わせ技で 上陸。  時計は1時間14分。を、なかなか良いぞ。距離をみると 4.4KM!誤差なければ、600mの無駄泳ぎ。。。

「バイク」
歩いて T1バックラックへ、更衣室は満杯なので、みんな外でウエットスーツを脱ぎ、バイクに乗る準備をしていた。僕は、ウエット脱いで、体をタオルでふ き、バイクパンツは ウエットの下にはいていたので、バイクウエアを着て、日焼けどめを塗った。そしてご褒美のREDBULL.この時は美味かった。
T1のバックをあずけ、バイクのもとへ。ビニールの食料をウエアの後ろポケットへ入れて、シューズを履いて、歩きながら 自転車を押して移動、歩く歩く歩く、結構な距離を押してあるき、ラインを超えて、乗車。
考えてたのは、100KM地点の ヒルクライム15KM500mの前の半分は、ちょっとだけ頑張って、ヒルクライム前のスペシャルで しっかりやすんで、抜かれても気にしない、ヒルクライム終われば、あと 普通の道だ。ということ。
20KMごとに、ういろう、と、CCD、ジョミをしっかりとる、というのが 補給の目標。結果は、補給は胃がいやがるので、最初の80KMくらいまでしかしっかり取れず。固形は、クリフバーと大福は食べられず、ういろうも、半分だ け、なんとか入れられただけ でした。CCDとジョミは消費した。  そして、全エイドで、降車し、水をもらい、ストレッチしました。バイクパート長過ぎ。だからironmanなんだけどね。
中間地点のヒルクライムは、きつかった。体力もそうですが、こんなに長い休みなしのヒルクライムをやったことがないというところで、メンタルで弱まりまし た。なんとか ヒルクライム終わり、下りでは、みんなウインドブレーカーをスペシャルエイドで手に入れてきていましたが、私は、天気がいいのでおいてきていました。
一瞬、後悔しましたが、どうしようもないので、半袖で長いダウンヒルへ向かいました。
延々と続く下り、これは、一言 楽しすぎる! でした。 結局、ひなた もあったので、太陽であったかく、ウインドブレーカーは不要でした。こげないほどスピードがでるけど、カーブがきつすぎるわけでもなく、ダウンヒルを楽し めました。自転車の空気抵抗がいいため、漕がずに何人か抜いていけました。
あと、50KM。ここからは長かった、エイドが来たら休む、という 餌を使って、やる気を出して、実際エイドでは、必ず降車し、ストレッチして水を補給しました。この時は、CCDボトルと、ジョミフラスクを飲むために、水 がつねに必要でした。そして、T2手前、バイク終了寸前の長い登りで、メンタルつかいきりました。ランのことは一切 考えず、まずはバイクを終わろうということだけで、上ってきました。

「ラン」
T2の旧小学校にあるバイクラックへバイクをかけ、T2のバッグをうけとり、着替え。ランの上下は、一式いれていましたが、気分で、下はバイクパンツのま ま、上だけTシャツに変えて、ランキャップにせず、買ったばかりのIRONMANサンバイザーをつけました。ベルトの2つのフラスクには、1つは TOPTEN+ジョミ、もう1つは、CCD+メダリスト。
ラン開始時点では、痛みもなく、走っても特に、動かない等の肉体的問題は、ありませんでしたが、フルマラソンを走り続ける自信はない精神状態でした。メンタルの弱さです。
コース的には、すぐ、MAX18%の未舗装ののぼりが来るのがわかっていたので、歩こうと決めてました。登りだけあるこうと、いちおう、自分とトレード し、登り以外は、JOGでいくようにしました。山道と農道が終って10KM位を超えると下りで、楽に走ることができました。湖畔の平地に入り、いったん北 の方へ行き折り返して、17Kで、をを、3分の1だ。まだ走れそうだ。と、テクテクと走っていたけども、だんだんと歩く人がいると、歩いてしまう。そし て、歩きがとても快適、魔の果実でした。20KM地点からは 歩き始めてしまいました。あたりは暗くなり、湖の遥か向こうにあるスタート地点やホテルの明かりが遠くにみえるときには、戦意喪失。エイドごとに取れるの は、水かREDBULLのみ、胃が完全に ジェルすら拒否していました。ベルトについているtoptenフラスクも 腕振りにジャマで捨ててしまおうかと思いましたが、それすらめんどくさく。そのまま歩き続けました。
頭の中では、17時間の制限の計算が始まり、13時間超えた時にも キロ10分で 20KM 3.5時間ならなんとか いける。と、まだまだ、歩いていました。GOALから15キロのところにある折り返しでは、5KMポッチをあと3回だけだ、走ろうぜ!と、思うも、果てし なく感じる自分に負けて、走れず、だんだんと、眠気と、顔と手足のしびれが出てきて、アー、ハンガーノックだー、良い言い訳になるじゃん、という悪魔の 声、とまってしまう 時間ももでてきた。3KM歩き、GOALまであと2KMの表示、これは、折り返した人用なので、本当は12KM。2KMなら走れるだろう、と自分にはっぱ をかけて、GOALちかくの折り返しまで、苦しみながら走った、そして、折り返し、約束通り走ったから歩くぞという自分、そして、2KM歩く。どんどん抜 かれていく。道が狭いので、抜かさせるために止まる。動けない、眠い。ふと、腰のTOPTENを思い出した、吐いてもいいから飲むか!?半分やけと苛立ち で、170mlの薬の味がするTOPTENの入ったフラスクを飲みほした。うう、気持ち悪い。しばらくは、かわらず。だんだんと、意識がはっきりしてく る。走れるか?走れる。はきそうだが、エイドのREDBULLで、押し込む。水は飲みたくない。雨が降ってきた。気持ちいい。足を刺激をいれるために、ス ポンジで水を太ももと首を冷やす。あと5KMの折り返しがきた、どんどんごぼう抜き。足は止まらない。止まるまで行こう。あと2KM, もうすこし、キロ7分なら15分。15分ながいなー、などと思いながら、1回折り返した地点を通過。あと数百メートル、500mかな。 IRONMANゴールが見えた。。。。でも、道は、ゴールを通り越して、湖畔をまっすぐいってる。まじかー。結局、ゴール越して200mいって、折り返し のゴールだった、1,2,3人抜いて、ついに、IRONMANのゲートへ着いた。

「フィニッシュの瞬間」
フィニッシュは5人くらい渋滞していたので、順番にゴールテープを通過。僕は、IRONMAN KONAのビデオでみたように両手でもって 頭の上に掲げました。カメラ目線で。やっと終わった!速くシャワー!と。
白戸太郎さんが全員と握手してたので、握手して、そのまま FINISHエイドへ、いくも、水分もジェルもいらなかったので、雨でびちゃびちゃのまま、部屋へもどりました。
今、思い出すともっと灌漑にふけってもよかったなあと、思います。メダルもらったあとはシャワーだ、そのあとは、嫁に電話だー。と、急ぎ足。完了した後、 フィニッシャーTシャツもらってないので、会場にもどる、無事ゲット。このとき相変わらずToptenが胃の中で騒いでる。寝るためと食べるために、ペッ トボトルの水を飲んで、トイレで排出。上から。すこし食欲出てきたので、味噌ラーメンをコンビニで買って食しました。が、めんは食べられず、味噌汁として 摂取しました。味噌ラーメン汁うまかったー。
226kmの旅の結果は、15時間59分でした。

「翌日、スロット授与式、アワードパーティ」
翌日は、強烈な空腹感で4時に起床。朝食ブッフェなので、死ぬほど食べるため、コンビニではアイスで我慢。8:30からバイク引き渡しと同時にトランジションとスペシャルエイドの袋を取りに行き、汚れ物の水洗いで、片付けが終わったのが、朝10時すぎ。

10時からのKONAスロット授与式は関係ないので、ボーッとしてましたが、強豪たちのオーラに当たるため出たら面白かったかもしれません。次回は忍び込みます。スロットとりに来なかった人もいたらしいです。
11時からのアワードパーティの食事は、かなり豪勢でした。いくら丼とカニ汁とジンギスカン最高にうまかったー。
30台後半、40代、の上位は、ほとんど外国人でした、スロットとりに日本に来ていました。日本人は、台湾にとりに行くらしいです。

「今後の課題」
正直ランではハングリーさが足らなかった、体力的には、もっと、やれたと思います。メンタルについても考えたいです。あとは補給できる強靭な胃をつくりたい。
どこまで近づけるか わかりませんが、 まずは ランでサブ4を 今シーズンで集中してやります。無理しない程度にグループでのインターバル練習に行きたいです。11月のつくばマラソンでサブ4.5!ウルトラマラソンでもメンタル上がるかな。
バイクは、27インチのものを買います。そして、補給しながらの 表ヤビツ、裏ヤビツの往復をいれないといけないですね。できたらワットバイクでの室内錬。
スイムは、まあまあ良かった、スピードドリルとあとは、来シーズンOWSの練習会にいって、コバンザメの練習と、右に流れるくせを直して効率的に泳げるようになりたいです。次回は、12時間代絶対!

「その他」
IRONMANから、、写真がきましたが、枚数もすくないし、あまりちゃんとうつってなかった。。。カメラ目線のゴールシーンの写真もなし。。かなしい。今度はGoPro持参で行きます。

Sunday, October 10, 2010

John Muir Trail Section Hike 完了!!

今年から はじめた登山の 今年最後の挑戦として
カルフォルニアにある 長距離の登山ルート(Trail)、Yosemite 公園から  Mt. Whitney まで 続く John Muir Trail (JMT)340km のうち 最初の90KMにチャンレンジすることにした。(右のアメリカ地図の赤い線がJMT全工程)いきなり全部も危ないしねー、移動等いれて1ヶ月の休みは、とれないし。Section Hike(部分的にあるく)ということで4分の1だけ。
Whitney Hustonの名前はこのMt. Whitneyにちなんだのかなあ。この山は アメリカのメインランドで一番高い山だ(4421m)。今回は行かなかったけど。
5泊を 3000m前後の 山の中で テントで泊まり、食料、テント、寝袋、衣服、その他は、基本的には、すべて背負ってあるく。水だけ現場 調達。これ以上歩く場合には、経由地に食料を配達して 郵便局等で受け取るというアレンジが必要となる。

一応無事に 完歩し、帰国したので、全体的な 振り返りを書いてみようかと思う。
行く前の計画と実際いってみて思ったこと、がメイン。各日の行程の詳細は別で投稿する。

アメリカでの 登山、そしてヨセミテ公園は行った事ない、6日も歩くということで いろいろと 不確定要素が 計画にはあるので1日の予備日を設けた。登山口のヨセミテ公園、ハッピーアイル(幸せ小道?)までは、サンフランシスコ空港から 途中1泊してのアプローチ。そこからの実際のルートは、上の地図のとおり。Reds Meadowで 山を降りて ヒッチハイクで Mammoth Lakeへ その後 TAXIと飛行機で 3日かけて 帰国した(1日は予備日消化しての休暇)。


情報源は、基本は インターネットで英語と日本語のサイト。あと Essential Guide for JMT という本。

赤い線が 今回の 登山コース、青は、登山口への移動と登山口からの町への移動コースに線を引いた。A~Gのバルーンの注釈は、事前に決めていたテント地の場所だが、ハプニングにより 予定がずれて 使えず、写真の注釈で しめした赤のバツ印が 実際の止まった場所。1日平均15KM/10マイル 移動だけど、最終日は、はやる気持ちが抑えられず28KMもいっきに歩いて完了させてしまった。

これまでの経験は、今年4月の高尾山から始まり、丹沢いくつか(大山、三峰、鍋割、塔の岳)、槍ヶ岳、木曽駒残雪、富士山、大雪山系。テントでの泊まりは1泊が MAXで 3回ほど。この9月のJMTが一旦 今年の登山の区切りとなる。レベルはといわれると 登山6ヶ月の初心者です。中級か?!
いやーはまったね。6ヶ月で、旅費と、装備で けっこう使ってしまった。奥さんありがとう!!来年は丹沢メインで 経験つみますので旅費は、減らします。
計画時に一番 参考にしたのは、実際の自分の山行の中で一番長くあるいた 槍ヶ岳の距離と時間だった。槍ヶ岳は、2泊3日。上高地→槍の肩まで 9時間。帰りは、7時間。片道20KM。このルートは、最初の15KMは ほとんど平地 か 軽い登りで500m稼ぎ、 残りの5KMで 最後どんどんときつくなり1000Mも稼ぐ。(最後の 殺生ヒュッテ→槍の肩のスイッチバックは、へこみました。)

そして、JMTの1日目は1500m の 登り、距離は 15KMの予定にした。槍ヶ岳の実績を考えると 1日8時間あるけば、なんとかなるという計算。実際、この数字が 1日の平均移動距離となった。毎晩 夕食後は、明日のキャンプ地の場所を 地図とガイドとにらめっこしながら決めた。3日目くらいでだいたい わかったのは、きつい登りがある1マイル(1.6KM)は1時間(休み込み)。平坦地なら 1.5倍以上の速度、下りなら2~3倍進めるということ、昼休み等で1時間とれば、登りが2割くらいなら歩き時間7時間で 10マイル いけるっちゅーわけですわ。

日の出が6時AM、日の入りが7時PMだった。そして、朝の準備(水確保、朝食、片付け、トイレ、テント
撤収、パッキング、準備体操)は、日が出てから どうやっても 実績として2時間かかった。そうすると8時~9時 出発で 次のキャンプ地は 大体5時PM到着。そして、テントできて水場がちかくて、熊がこなさそうな場所を探し、テント設営、洗濯、夕食をテントから離れたところで食べ、片付け、熊缶を
テントからはなれたところに配置して、一応鈴をつけ、やっとテント内でおちつく。これも大体2時間かかるので、ちょうど日が落ちる7時半PMに、テントに入ることができる。

テントでは、なによりもまず、今日の成果である距離と歩きと休憩時間をまとめ、そして、その成果を元に、翌日のキャンプ地を決める作業が1時間と かかかる。このころには、気温が劇的に下がってくるので、テント内で お湯をわかして、飲んだりした(天窓つくって)。そのたいろいろして、10時くらいに 小をしてから 寝袋にはいって、睡眠開始。ただ、1日たりとも、通しで7時間とか寝ることはできなかった。
これが1日のサイクル。10PM-6AM 睡眠、6AM-8:30AM朝の準備、8:30-17:30歩き、17:30-19:30夜の飯等、19:30-22;00雑務。

昼は、半そでTシャツ1枚で OKだが、
朝、夜は、非常に冷えるので 防寒は 完璧にしたほうがいい(9月だからかもしれないが)。寝るときの上は 、モンベル メリノウール エクスペディション、歩きよう化繊長そでTシャツ、薄手ユニクロフリース、ユニクロウインドブレーカー、モンベルインナーダウン、ミズノ 雨具上着の6枚を着て、マイナス対応の寝袋に入ったが、寒さで寝付けなかった。少ししかなかった ホッカイロ2つを消費して なんとかしのいだ。
いくらきても かぶっても、衣服のなかの空気温度が 低いと 体温だけで温めることになるので、すぐあったかくなりたいときには、カイロが必須だと思った、次回は1日2つ(上半身と下半身)分の小さいホッカイロを持っていく。
ある朝なんかは、洗顔用に 外においておいた バケツの水が3mmくらい凍っていたので、間違いなく零下いっただろう、昼は、25度とかそれくらい。なので 半端ない 温度変化だ。

あと、大きな発見は、 日ごとに、食欲が なくなっていったことだ。根性なしなのか、山飯がまずいのか、体調がわるかったのか よくわからないが、4日目夜 は、食べる気がなく、行動食のSOYJOY1個だけ。5日目夜は、なにも食べるがせず、お茶とお湯だけになってしまって、それでも吐き気がして、体は、吐こうとしていた。そのとき思ったのは、水か食事で 胃腸が調子悪くなったのじゃないかと、なので 胃腸薬を次回は持参。あと、現地取得の水も最初は、おいしくいただけたが、たまに 飽きるので、 ポカリとかアクエリアスの粉も持っていったほうがいいかもと思ったし、吸収がよくなるので、体にもよいはず。

そして、最後に、今回の92KMの行程に対する感想。JMTでなければ、最初のYosemite→Tuolumneの道は、行かなくてもいいかなとおもった。理由は、人が多い(両登山口から10マイル)、景色がTuolumne以降とくらべると劣る、登りが多い。

それに比べてTuolume以降は、上高地IN USA 、最初は、平坦な 川沿いの 広い 長い トレイルが つづき、Donohue Pass 越え前には、 きれいな 湖と雪渓のすぐ横を通り、峠を 超えると広いきれいな 湿地帯。そのあと RushCreek などの 小川の嵐のあとは、宝石の名前がついた湖が次々と 目を楽しませてくれる。Thousand Islands Lakeを見た瞬間は、感動で涙が出そうになった。次回やるとしたら、また Tuolumneから はじめたいと思う。あと、9月は、JMTを歩く人がすくないとのことで、実際そうおもった、登山口から10マイルいくと もう 2時間に1人くらいにしか 会わない。この Solitude(孤独感)は 最高、 すばらしい自然を 独り占めしてる気分にさせてくれる。また9月にしようかと思う。1つ問題は、 雨の降らない このルート、去年の雪が9月だとなくなって、地図上に書いてあるCreek(小川)が 消えていることが結構あり、テント場を変更する必要がでたことがあった。水を多め にもてば 問題ないんだけど。重くなる。

くどいが、記憶に一番のこっているのは、最後の2日をすごした、 Tuolumneから Shadow Lakeまでの すばらしい景色だ、ここは、確実に あと1日足して 湖を眺める時間がほしかった。家族で行ってみたいルートだ、そして、 ものすごい寒いが、夜の 星空は、 信じられないくらいの星があった、天の川 、英語で Milky Wayとは よくいったもので、あまりにも多い星の数とそれが発する小さい周りの光が ほんとに白い帯を作っていた。写真に撮ろうとおもったけど、ポケットデジカメでは不可能だった。次回は、星の取れるカメラをもっていくぞ!!!John Muir Trail最高!ありがとう! 数年以内に制覇するぜ!

Wednesday, October 06, 2010



John Muir Trail Day 0 2010年9月15日(水)

今日は、相模大野の自宅から一気に カルフォルニアのヨセミテ公園まで行く。

本日の 予定ルートは、
1.自宅→相模大野駅             奥さんとたいちゃんに車で見送り
2.相模大野→成田第1            加奈中/京成バス で 2時間強
3.成田6PM→サンフランシスコ空港9AM デルタ航空 10時間弱
4.空港→Civic Center駅            BARTで30分
5.Civic Center → REI (山グッズ屋)    徒歩20分
6.Civic Center駅→RichMond駅       BARTで40分
7.RichMond駅→Merced駅          Amtrak列車 2時間半
8.Merced駅 → Yosemiteビジターセンター YARTSバス  3時間弱
9.ビジターセンター→Campサイト        バス+徒歩 30分

Camp場到着は、現地時間 9月15日午後 9時 予定。
10時間の飛行機でアメリカ上陸しあと、7時間移動して ヨセミテ公園まで 行く。とおいねえ。


1週間前から 荷物の準備をし、ザックには、 炊事道具、寝具、テント、食料、衣類等々。炊事道具のStoveはいつもは念のためと同時炊事のため2つだが 今回は、1つに。テントと寝具も基本的に、いつもと同じようにだが、今回の新しいギアは、枕カバー。あまった衣類を入れると、飛行機の中でも、テントの中でもデカめの枕になる。食料は、簡単で軽いものということで、フリーズドライとインスタントスープとシリアルを中心に、ZIPLOCKで小分けにした。
食料は、必ず熊缶といわれる容器に入れない
といけないため 余計なパッケージや、空気をのぞくことにもなった。あと臭いもまあまあ、封じ込められる(これ重要)。
コストコで 買った、TrailMixというナッツ、レーズン、チョコがMIXされた小さい一袋160KCALも入手。あとSOYJOY。持ち物リストはこちら。
今回のために特別に入手したGearは2つ、高度は3000mあたりを上下するので夜の気温が氷点下近くにいくかもということで、モンベルのスーパーメリノウール下着 Expedition上下。そして、ザックにかけて充電するタイプのソーラーパネル。携帯をGPS代わりにもっていきつつ、電池もEneloop9つで重量を減らした。

あと軽量化として、一眼レフをデジカメに、
晴天率9割なので 重い雨具の下は置いていった。
あと救急セットなども見直して、出発時点で登山靴いれて17KG。
これに、アメリカで買う食糧と水3Lと追加のGearが入る。


そして体重は、この時点で90KGジャストほど。
ザックは、最終的には22KGあたり希望。

相模大野駅前から 成田まで直で バスでいけるので、非常に便利だ。
今日は、ほとんど移動なので、プリントした大量の資料と厳選して1つに絞った
小説”エンデュアランス号 漂流記”。最後まで、 ”孤高の人(上)”と なやんだが、読みやすそうなのでこちらにした。
成田に着き、とりあえず チェックインして でかいザックと銀マットを預け、身軽になる。空港内で 昼飯的なものを くおうかどうか迷いながら、さまよったが、成田第一っていまいちなのな。結局 出国後エリアのがいいかもと、濡れマスクだけ買って、出国のゲートに向かった。ふと、何か忘れ物した気がして少し冠がると、あ!米ドル現金 買ってない、と気づき 空いている 遠めの為替窓口で300ドル入手。当然のように問題なく 即効出国が、出国後のエリアは、もっと何もない。。。念のため買っておこうと いうことで 1週間分の海外旅行保険5000円くらい自動販売機で出費。普通のエコノミーで 滞りなく サンフランシスコ空港までの10時間を過ごした。エンデュアランス号が面白く、映画は見なかった。



ということで、サンフランシスコ到着。永住権保持者の私は、特に、緑のI-94wフォームも書かず、ESTAも登録せず。特別扱いな 米国市民のラインに並んで、入国の審査へ。いつもなら、Welcome back とか、元気かくらいで さくっと 入れるのだが、今回は、雰囲気が違う。この前は、いつ出国した?とか、次は、いつ出国するのかとか。Immigration Officerも顔が厳しい。やばい。とおもったら、案の定、別室行き。詳細を聞かれるのだ。このへんん話は JMTと関係ないので 省くが、永住権を放棄するか、再入国許可証というのをとるか(実質不可能) で、 一番恐れていた、そのまま日本へ帰れ、アメリカには入れてやらないというのでは なかったので、いちおうアメリカ入国完了。

サンフランシスコ空港では、フリーのWifiが使えるのと、コンセントが結構あるので、愛用のAndoroid携帯を充電したり、メールうったりして 11時くらいに、BARTの駅に入った。BARTは、PrePaidなので、とりあえず自販機で、現金で10ドル分の磁気付カード購入。NYのメトロなどと同じ仕組み。





最初の用事は、アメリカでしか買えない、ガス缶、水フィルター、フリーズドライフード、パワーバー、蚊よけスプレー(日本のはきかないらしい)、折りたたみバケツを REI(有名な山グッズ屋)で買うこと。サンフランシスコ空港からBART(地下鉄)で30分のところにある、Civic Centerで降りて TAXIか歩きでいける。TAXIが少なかったので、歩いて20分くらいで REIまで 行った。Civic Centerの降りたとこにある 南に伸びる8th Streetを 南へひたすら歩き、高速道路の高架下の次の信号を左へ、2分くらいあるくと左側にある。とおりは、少し寂れているので、TAXIを拾うのは、難しい。8Th Streetまで もどれば 車どおりが多いので、捕まえられそう。REIはチェーン店なのでたくさんあるそうだ。結構店は広く、店員は、いろいろ親切に教えてくれるので、比較てき早く必要なものをそろえることができた。あ、ザックは、入店時に フロントに預けるように。

再び歩いて Civic Centerまで戻り、地下鉄で、Amtrakの駅のある Richmondまで 40分。
ここで、予定の時間より30分遅れてしまった。REIで いろいろ見て 時間をかけすぎてしまった。やっぱり山好きなので、山グッズはいろいろみてしまうよね。1つわかったのは、 アメリカだからといって、特に安いわけではなかった(円高含めて考えても)。で、30分遅れで、予定のPM1:40のAmtrakの列車にのれなかった。うう。ちなみに、Amtrakの駅は、BARTの地下鉄からあがって改札出てすぐ階段がありそれ登るだけ、ただし 無人駅で、BART改札のすぐ近くに 切符の自動販売機があるだけ。時刻表があったので、次の電車の時間を見てみるとなんと 6:00PM。4時間待ちかよー。と 仕方ないので、奥さんに 携帯から国際電話して、ほかの方法で、バスの出発場所のMercedまでいけるかどうか調べてもらったが、ない。さっきから 乞食のおばちゃんが 回ってきて 金せびってくる。4時間をなんとか つぶさねば、しかし、田舎町の住宅街で、駅の周りには、店なし。だけども、直観かなにかが働き、誘われるかのようにある方向へ 歩き出してみた。 すごい、Berguer King発見。何でわかったんだろう 俺。腹も減っていたので、さっそくWhopper ゲット。今日中には、Yosemite まで いけないことが 確定したので、予約した YosemiteのCampsiteをキャンセルし、奥さんには、Mercedでの安ホテルを探してもらった。Quality Innがなんと39.90ドルの破格で、あるらしい。Amtrakがつく10PMでも チェックイン可能とのことで、Mercedでは、野宿/駅宿をしなくてよくなった。BurgerKIngで YosemiteでのCampのルールが書いてある資料や、予定が変わったので、コーススケジュールの再編成などをして なんとか4時間経過。

Amtrakは 非常に広くて快適だった、客席車両の間には、大きい荷物
ようの置き場もあるし、小田急のロマンスカーよりも快適だった。23ドルで
安いし。この3時間は、エンデュアランス号を読みまくった。この本は、南極点制覇で列強が争っていたあたりの時代に、南極大陸横断というプロジェクトに挑んだ、28名の探検家たちが、途中船が大破し、横断をあきらめ、流氷を渡り渡り、1年半かけて無事全員 救助されるという 南極大陸横断よりも 何十倍も難しいことをやってのけたノンフィクションの小説で、途中、ペンギンやアザラシ食べたり、アザラシの脂肪を火の燃料にしたり、犬ゾリの犬とお別れしたり、特に一番最後の難関を乗り越えたところでは、涙が出ました。この本は、一気に読んだほうが、感情移入しやすくてよいです。したの写真に移ってる本。

      

そして、Mercedへ到着。到着前の1時間は、乗り過ごさないために、睡魔と闘うのが大変でした。
Mercedの駅からQuality Innに電話して、PickUpをお願いし、 移動。無事、部屋に入り、落ち着いた。ここ安いししかも、翌日のYosemite行きのバスの切符も売ってくれた。Free Wifiあるし、朝飯、ただだし。ここだったら 連泊できるねえ。そういえば なぜかフランス語を話する人が大量に泊まっていた。





夜は、近くのDeliで サンドイッチを買い、夕食。 
REIで買った Water Filterの練習も説明書みなから完了。
左手でもってるのが、Kadadyne Water Filter 本体。本体から突き出ているのが、ポンプでこれで 川や湖から 底部につけたホースから水をすいとる上部から出ているホースへ きれいな水が流れるしくみだ。

そんなこんなで、時差ぼけのまま、寝たりおきたりで、朝まで休んだ。